福井の眼鏡作りは、大阪から職人を迎えて
『福井県史』によると、1905年、増永五左衛門が大阪から技術者を迎え、眼鏡枠製造の基礎を築いた。場所は、現在の福井市にあたる麻生津村だった。今日の鯖江の産地を知るうえで、その始まりが記された土地にも目を向けておきたい。
同じ時代の福井には、絹織物、和紙、漆器などの地域産業もあった。眼鏡産業の歩みは、こうした県内各地のものづくりの歴史の一つに位置づけられる。
山梨では、水晶を磨く技術から広がった
山梨ジュエリーミュージアムは、江戸後期に京都から研磨技術が伝わり、甲府市北部にある金櫻神社の神官らが学んだと紹介している。やがて水晶美術彫刻と宝石研磨へ専門が分かれ、材料の調達から加工、流通・販売までの集積につながったという。
地元の水晶を磨く仕事から始まった産地は、現在ではさまざまな宝飾の工程を担っている。ただし、この歩みから、今の製品の原石もすべて山梨産だとはいえない。資料が伝えるのは甲府周辺での技術と仕事の広がりで、個々の原石の産地ではない。
一つの製品を、いくつもの専門で作る
甲府市の産業・観光計画には、市内に研磨、鋳造、加工、デザイン、流通までの宝飾工程が集まっているとある。山梨県の資料も、ジュエリー制作では分業が主流だと説明する。石を磨く人、金属を成形する人、デザインや販売を担う人の仕事が、一つの製品につながっている。
同じ甲府市の計画は、鯖江市にも職人文化、分業、中小製造業を中心とする産地という共通点を見いだしている。両市は2025年度から連携事業を展開しているという。県外から技術を学んで始まった産地が、今度は異なる製品を作る産地同士で結びついている。
工程ごとの技能が近くに集まることは、産地が続く理由の一つと考えられる。ただし、今回の資料で追えるのは技術の伝来や分業の姿までで、各企業の立地理由や、両市の連携による経済効果までは確かめられない。